’00,9,16 「風の雨飾」 -夏はこんなだったシリーズ第4弾- 

 前日の晩、Yahooの天気予報にて近県3時間程度の範囲で一番天気の良さそうな所を探す。そして見つけたのが上越地方、土曜はまずまず、日曜もうまくすれば…って感じだった(ただし予想最高気温が37度ってどう言う意味だろう?)。上越って言ったらやっぱ頸城、妙高・火打って所なのだろうが、実は両方共行った(滑った)事が無い、頸城で行った(滑った)事があるのは唯一三田原だけだ。冬場、行った(滑った)事が無い山に登ったのではこのシリーズの意味が無い、かと言って三田原では…とかなんとかで、選んだのは「雨飾」だった。 北信濃ではあるが、まぁ、山伝いに隣は上越、頸城、火打・焼山だ、良しとしよう。

 9月16日、6時起き、7時高崎発、セプター号は一路上信道を行く。長野から白馬、そして小谷温泉・山田旅館を通り過ぎ、冬場ラッセルをくり返した林道を、右足一踏みにて久々のキャンプ場まで。それにしても何と言う変わり様だ。キャンプ場って今時のオートキャンプ場だったんだぁ〜。おまけに凄い車の数、みんな雨飾に登っているのだろうか、そう言えば雨飾って100名山だった。
 10時40分、ツアー届け提出後出発。冬場6時間掛ってP2下まで行けたのだから(それも山田旅館から)ここからなら3時間もあれば登れるだろう…なんて考えていたが、2.5万を見るとどうやら冬場と道が違うようだ。P4も3も2も通らない。どちらかと言うと滑ったコース。最後はP2の反対側から登るようだ。まぁ、いいか、あまり深く考えるのはよそう。
 で、登り始めてすぐの事だった。下山者が来るは来るは小旗を先頭に老若男女…「な・な・なんなんだぁ〜!こいつら何時に登り始めたんだぁ〜」と思ったのだが、実は自分達の出発がただ単に遅いと言うだけでは無かった…と、知るのは荒菅沢より尾根筋へ上がる急登をよじ登る頃だった。すでに100人単位の下山者とすれ違い、それもほぼ消えた。もちろん登る人は一人もいない。なぜか、…そう、風だ。南からの台風の影響による猛烈な風だ。長崎の台風銀座で生まれ育った妻でさえ、こんな凄い風は初めてだと言った(まぁ、台風の時は普通外に出ないらしいが)。そんな所為で、結局ほとんどの人が登頂を諦め下山していったようだった。でもでも、そこは不良夫婦、こんな経験めったに無い。ワクワクはやる気持を押さえて行けるとこまで行ってみよ〜ぅ、う〜ん、楽しい。
 尾根筋風景は、さながら映画「シンレッドライン」のようだ。鉄砲の弾こそ飛んでこないが上体を起こすと完全に風で飛ばされる。ときに歩伏前進、本当に這うようにしながら、やっとのことで山頂を踏む。ちょうどキャンプ場より3時間掛った。もちろん誰も居ない、この山2人占めだ、嬉しい。
 山頂にはどうやって登り上げたか石仏が4基(左より大日、三尊、聖、不動と思われる)、祠が2基、石板1基あった。重かっただろうに…なんて思いながら、写真を撮っているその時だった。ほんのちょっとの油断だった。掛けていたサングラスが一瞬にして消える…風と共に遥かなる山の彼方へ…。
 「オークレ〜〜!カムバ〜ック!」。


本当の姿はこんなです

荒菅沢上部よりの遠望

尾根直下の急登

強風の尾根

山頂直下、涙池(?)

山頂の祠

山頂の石仏群

中央が山頂、左がP2

きのこ

とりかぶと

サルナシ

岩魚

’00,9,17 いい旅夢気分 in 信州


鎌池です。
早朝のつかの間の晴間でした、とても静かな池でした、でも、冬は見る事は出来ません(凍ってます)。
湯峠。
大渚山を目指そうと思ったが、雨と霧にてパスです(2.5万には登山道は書かれて無いが、実際は山頂まであるようです)。

村営雨飾荘裏手の露天風呂です(ロハです)。
雨の中の朝風呂でした。
も〜ぅ、最高!。
千国街道の百体観音です。
その筋では結構有名です。栂池のゲレンデのすぐ傍です。気が付くスキーヤーがどれほどいるか(まぁ、その頃は雪の下ですが)。

「田毎の月」として有名な棚田です、松尾芭蕉の世界です。
遠くに望むは川中島です、
つわものどもの夢の後です。
やっぱ、信州って言ったらコスモスでしょう!

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