上州武尊山

2月の武尊山

武尊山、山遊びの記録
武尊山、雪のある時
武尊山、雪のない時
しんめいの湯


・武尊山ってどんな所?

 上州武尊山、武尊と書いてホタカと読むのだが、ホタカと言うとどうしても北アルプスの穂高を連想する為、あえて上州武尊山と呼ばれている。その武尊山、一応深田百名山の一つにも指定されてはいるが、やはり読みの難解さと、上州でも若干奥まった位置にある為、地元でもいまいちマイナー扱いされている。群馬の山を上毛三山として表わす時、それは赤城山・榛名山・妙義山であって、武尊の方が標高や山容共に断然立派と思われるのに含まれない。四阿山(アズマヤサン)、皇海山(スカイサン)と共に上毛三難(読)山である。

 本題「武尊山ってどんな所?」。地学的に言うと新生代第3紀の終わりから第4紀の初め頃(200万年程昔)に活動したコニーデ型の火山であり、稜線の岩峰等は複輝石安山岩によって作られている。今の川場谷が火口の崩壊跡であり、それを囲むように前武尊(2040m)、川場剣ヶ峰(2090m)、家ノ串(2103m)、中ノ岳(2144m)、主峰沖武尊(2158m)、剣ヶ峰(2020m)と、標高2000mを越える峰が6峰ある。植生は落葉松およびブナ、亜高山にはいると樅・米栂・岳樺。武尊山のブナは内陸にありながら日本海型のブナ、つまり漢字で書くところの「山毛欅」若葉の頃に毛が生えているブナである。

 また、この山は修験道の山であり、一昔前までは女人禁制、岩あり谷あり鎖あり、アプローチに標高差1000m以上、元来普通の人が登れる山ではなかった。今でも百名山巡りのハイカーに混ざり「六根清浄」を唱えながら登る白装束の集団に出会ったりする信仰の山でもある。


・武尊山の名前の由来

 武尊山、その名前はもちろん日本武尊(ヤマトタケルノミコト)から頂いたものだが、実はこの山、元々は穂高見命(ホタカミノミコト)を祭る山であり、保鷹山もしくは穂高山と呼ばれていた。時は景行40年10月(書記による)、第12代景行天皇の命により東方征伐が行われ、その時この山を根城にしていた蝦夷(えみし)の一族(安曇族)が、通りすがりのついでに平定されてしまった。平定って言うと聞こえが良いが、要は殺りく(焼かれたようです)であって、まぁ、なんて言いましょうか、強い者が勝つ、哀れ弱者である。で、その時の大和軍の御大将が日本武尊だった訳です。

 ちなみに、砦が焼かれた時その部族長の妻が逃げ遅れ焼死しました。その時、その魂が石になって残り、その表面にボタンのような模様が浮き出ている事からその石を「花咲石(はなさくいし)」と呼び、そのあたりの地名を「花咲(はなさく)」と呼んでいる。今の片品村花咲、「しんめいの湯」のあたりです。

 と言うのは、もちろん後世に体よく作られた物語であって、実際には日本武尊自身も、4世紀後半頃の大和朝廷による地方討伐軍の功績を集めて作り上げられた架空の人物って言うのが定説であり、「ヤマトタケル」つまり大和の強い武将って意味です。この地で本当に平定が行われたかどうかはともかく、保鷹山の名前が武尊山と改められたのが、実はそれから1000年も後、江戸時代になってからだというのは、また違う理由からのようです。


日本武尊像 これは前武尊山頂にある日本武尊のブロンズ像です。自分達はオグナ像って呼んでいるのだが(オグナというのは日本武尊の元々の名前、古事記では倭男具那、書記では日本童男と書きます)胸の所に奉納年号が彫ってあります。それによると嘉永三庚戌年、西暦で言うと1850年江戸末期です。黒船が浦賀にやってきたのが53年、ここ上州のニュースで言うと国定忠治が磔になったのが51年、結構古いんです。つまり、これ、ヘリで上げたのでは無く、車も無く、もちろんリフトも無く、伝えによると片品村須賀川の卯八郎、花咲の嘉十郎、凸丸等により背負い上げられたと言う事です。「修行は難苦をもって第一とす。身の苦によって心乱れざれば証果自ずから至る」役行者神変大菩薩の言葉そのものであります。

・武尊山、雪のある時、雪のない時

夏の剣が峰 実は武尊山、無雪期に登ったのは10回程しか無く、その2度目に登った時の写真がこれ、7月の剣ヶ峰です。
 剣ヶ峰と言うのは武尊には2つあり、これは前武尊寄りの剣ヶ峰、正確には川場剣ヶ峰と呼ばれ、標高2090m、山頂にはこの山を開いたとされる普寛上人の石碑と祠が2つ置かれています。
 山頂からの眺めはS賀級(この世のものとは思えない)のものなれど、残念ながら登山道が十数年前に崩落して以来登る道は無い。特に夏場そこに立つのは深い薮(笹)漕ぎであり、不可能では無いがとても困難です。
 周りは笹と岳樺、樅、栂、翌桧、そしてブナの原生林、熊、猿、かもしか、狐、狸、兎、野生動物達の楽園です(楽園と言うのは人間の言い分であって、当人達にとっても結構厳しい環境だとは思いますが)。

冬の剣が峰 上の写真と同じ場所から撮った2月の剣ヶ峰がこれです。天然滑り台、武尊シャンツェ、シフォンケーキ。最上部で45°を越えている。恐そうに見えるが、その時の雪質によっては滑れない事もありません。
 雪の季節は早い年で12月上旬から、遅い年でも正月までには白くなります。ただし、笹や薮が完全に隠れるのは1月中旬頃だろうか、そして、雪解けの季節はスキーが出来るって言うレベルでいうとGWあたりでしょうか?。
 雪質は内陸って事が幸いして、いたって乾燥質、寒気の最中、リフト停止をシールにて登った分にはオーバーヘッドも夢では無い(もちろん、それなりのリスクを踏まえての話ですが)。ちなみにオグナのリフトは風速20m/sにて止ります。