’06,3,19 武尊 Final


 昨日よりの連チャン武尊、まさかこれがFinalになるとは…。


関越より武尊

オグナゲート

No3駐車場

シャトルバス


No3クワッド

今日の前武尊

十二沢登る

武尊 13th

 天気曇り、山頂部は青空。微風(20m/s前後)。気温普通。雪、昨日の生コンが適度に締まりいたって滑り易い。ラッセル無し。スプレー無し。


十二沢稜線より

十二沢へ滑る

十二沢いざる

今シーズン終了

 朝から気乗りのしない1日だった。7時出発予定もいつまでもソファーでくつろぎ、結局家を出たのが7時30分だった。そして、オグナスキー場着が8時40分、しかし、オグナのレストハウスにてもやはりグズグズ、「誰か来ないかな〜ぁ」とか「このまま温泉に入って帰ろうか〜ぁ」とかとか、でも、折角来てるんだし、とりあえず十二沢を1本やってアゼリアで昼飯食べて引き上げようとレストハウスを出たのが9時30分だった。
 いつものようにリフトを3本乗り継ぎ、いつものようにリフト係とたわいもない会話を交わし、いつものようにシールを貼り、いつものように前武尊目掛けて登り始めたのが10時10分だった。風は多少あるが、視界は良好、雪は昨日の生コンから水気が飛び適度に締まり、少なくとも昨日よりは数段良いように感じられた。
 前武尊山頂11時10分到着(ちょうど1時間)。風は強めだが上空は青空が広がっていた。15分程の休憩にて下山開始が11時25分(全てデジカメの写真データーによる)だった。その後、いつもなら自分が先に滑り雪の状態を下から伝えるのだが、その日に限り妻が先に滑り下から写真を撮ってくれる事になった。そして、先に滑った妻よりとっても滑り易い旨の無線があった。ではって言う事で3枚目の滑走写真が11時27分。たまたまそばにテレマーカーカップルがいたりして、写真も撮ってるし、ちょっと格好つけて、ちょっと張り切って…、、、みたいな感もあったかもしれない。とにかく3ターン、4ターン気持ち良く中廻りで滑走、3本生えてる木の先で5ターン目(右ターン)に移る予定が…、突然エッジが抜けた。今までしっかりエッジを捉えてた雪の下にカチカチのアイス面、体は簡単に宙に舞った。3本の木の左はじ目掛けて飛んだ。
 体は無意識に避けたのかもしれない。でも、左足が避け切れなかった。膝下部分が木に激突、そのまま滑落、数m?、岳駻馬の穴に背中から落ちてやっと止った。穴にお尻をはめ、スキーが上になったまま左足に激痛、ブーツを触り動かすと、すでに自分の意思・感覚とは無関係、物と化していた。
 「足折れた」の無線に妻が急行、そばに居たテレカップルも心配して駆け付けてくれた。とりあえずスキーを外してもらい座る。さて、どうしよう。見るまでも、触るまでも無く完全に折れた左足、まずはプローブ2セットを両脇に当て、ダクトテープでグルグル巻きにし、スコップにブーツを乗せ柄を下側にし6mmのロープでグルグル固定。で、どうしよう。ゲレンデまで標高差200m、距離にしたら500〜600mってとこだろうか。方法は2つ、レスキューを呼ぶか自力で下るか、レスキューなら防災ヘリか谷川警備隊、ヘリが飛ぶには風が強い、谷川警備隊だとスキー場に来るだけで2時間、ここまでってなると4時間(?)掛かる(ちなみにオグナのゲレパトは管轄外)。
 とりあえず自力下山を試みる。雪が適当に締まっており、かといってクラストしている訳では無く、スコップが橇の役目もしてくれて、両手片足にていざるように這うように進む。行けるかもしれない、行こう。そして、スキーなら5分も滑れば終わる斜面を約2時間、3歩進んでは休み、気を失いそうになると横から妻のゲキが飛ぶ、ストックが飛ぶ、生涯一の苦痛、そして、やっとリフトが見えた頃、妻がゲレパトを呼びに離れる(でも、その前に上で会ったテレカップルが自分の板を運んでいてくれて、パトも呼んでくれていた)。第6リフトの脇にて、ストレッチャーを運ぶパトの姿がリフト上に確認出来た時、もうこれで這わずに済むと思った。そして、そのままその場に横になった。やっと助かった。
 その頃妻は、十二沢の第6ゲレンデ脇でパトに哀願していた。「あそこです。あそこにいるんです。助けて下さい」それに対しパトは「あそこクラストしてるんだよねぇ、ストレッチャー入れないんだよねぇ」。もう一度書くと、その日の雪質、昨日の生コンから水気が飛び、適度に締まった雪、いざる写真を見ていただければ解る雪。そして、パトの言葉は続く「天気図見てるのか!こんな日に山に入るなんて何考えてるんだ!」「ツアー届け出してるんか!うちは受け取らないけど、警察署とか、営林署とか出す所があるだろう!」。天気に関しては、確かにその日八ヶ岳や仙ノ倉で遭難があった日、しかし、ここを100回以上登っているうちの、この日が特別悪いって訳でも無く、風が強い訳でも無く(終日リフトは動いていた)、ましてやツアー届けうんぬんとは…?、でも、ここでパトの機嫌を損ねてはと、ただひたすら謝り哀願続ける妻だった。
 そして苦痛に動く事止め、しばし横になってた夫も、パトの姿を横目で見てなんとなく悟った。そうかぁ、ここはまだコース外なんだ。パトの管轄外なんだ。パトが手招きしてる…。でも、横に動くのは辛いんだよなぁ…。必死でいざる。這う。足を引きづり、体を震わせ、リフトをくぐり、ゲレンデ脇の樅の木の下の氷にはしっかりケリを入れ、しかし滑る。見かねたパトのひとりがブーツで押さえてくれる。「ありがとうございます、ありがとうございます」ただそれだけでも嬉しかった。そして、コース脇の土手を登り、這って登り、必至に登り、やっとロープをくぐりゲレンデに倒れ込む。
 ゲレパトによりパト室まで搬送、シーネと弾力包帯にて応急処置、2000円(シーネ代)の支払い後釈放。車はたまたま付近にいた仲間に来てもらい、セプター号をパト室に横付けしてもらい、そのまま沼田まで運転してもらう。その後、無事な方の右足にて自走、家に寄り保険証持って、日曜もやってる整形の病院へと行く。
 レントゲン…、「すごい折れ方してるね〜ぇ、入院して手術です。紹介状書きますから明日の朝こちらの病院へ行って下さい」。えっ?、明日の朝?、あの〜ぉ、痛いんですけど…。ではって事で連絡してもらうと、たまたま6時から整形の先生が出て来ると言う。見てもらえると言う。こんどはタクシーにて入院・手術設備のある病院へと行く。そして、そこでやはりレントゲンを見た医師は「すごい折れ方してるね〜ぇ…、ここがこうで、ああで…」。あの〜ぉ、痛いんですけど…、そろそろ横になりたいんですけど…、そして、そこで意識は飛んだのだった。気がつくとストレッチャーに乗せられ病院の人となっていた。



 反省点は勿論あります。一番は、木の下はクラストしている事が往々にあると言う事、木に寄り過ぎた。もっと慎重に行くべきだった。一瞬の油断が大きな事故に繋がる、身をもって体験してしまった。
 そして教訓は山ほどある。実際、特別天気が悪い訳では無く、特別雪が難しい訳でも無く、体調が悪い訳でも、道具が壊れた訳でも、100回以上登っているうちには、もっともっと条件の悪い時はいくらでもあった。それでも、事故が起きた。と言う事は、つまり、いつでも、どこでも、どんな山でも事故は起こりえるって事だ。それを完全に回避するのは不可能だって事だ。問題は如何にその可能性を低くするって事、それは勉強であり、経験であり、感覚であり、修行の道は滑りのみにあらずである。
 今回の自力下山が本当に正しかったかどうかは解りません。警備隊を呼ぶべきだったかどうか、今となっては無事下山出来た事を良しとするだけです。そんな中で思った事は、やはり装備の重要性です(勿論考え出したらキリが無いのですが)。
 そして、どんな山でもひとりで入るのはとっても危険だって言う事。今回妻が一緒でしたが、横で「頑張れ!」と応援してくれる声がどれだけ心強かったか、ひとりだったら、ひょっとしたら途中で終わっていたかもしれません。
 また、一番頼れるのは仲間だって言う事。今回現場で初めて会ったテレ夫妻には並々ならぬお世話になりました。帰路についてた林君、武田君もすぐ飛んで来てくれました。入院してからもたくさんの励ましのメール、お見舞いをいただきました。本当にありがとうございました。
 そして、決して頼ってはいけないのはオグナのゲレパトって言う事。たとえロープまであと5mのところで動けなくなっても、呼ぶのは谷川警備隊、オグナのゲレパトではありません。いや、決して彼等が無能とか薄情とか言うのではありません。真実です。
 最後に、一番感謝したいのは妻です。一緒にいてくれてありがとう。一緒にスキーを始めてくれてありがとう。一緒になってくれてありがとう。あの日、あの夏、探してくれてありがとう。100万回のありがとうの言葉送ります。(4月9日、手術前日)

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