日本書紀に、日本武尊が蝦夷征伐の帰り東国から信濃に入る時、碓日坂(うすひさか)にいたり、碓日嶺に登りて弟橘姫をしのび「吾嬬(あづま)はや」と言ったとある。この碓日坂、つまり碓氷(うすい)峠が本来どこかと言うのには諸説あり、今では現在の鳥居峠と言うのが有力だ。また、古代東山道の碓氷峠も現在の入山峠と言う説がある。それなりの最もらしい解釈に法ってはいるが、では、なぜ今あっちが鳥居峠、こっちが入山峠であり、ここが碓氷峠なのか…問いたい。
何はともあれ、誰がなんと言おうが、現地名としての碓氷峠はここ、坂本よりR(カーブ)を184曲がりきった所、旧18号の群馬・長野の県境だ。ちなみに現18号はここより南、旧入山峠付近にバイパスが作られ乗っ取られてしまった。また、その18号ももっと南、旧内山峠付近に上信越自動車道が出来、衰退。図らずも新しい道路は南へ南へと移動して行く。
では、現在の碓氷峠のちょっと前、中世の中山道の碓氷峠はと言うと、この法則通り碓氷峠の北側、熊野大権現を境に上野・信濃を分ける旧碓氷峠として健在する。中仙道・姫街道として諸藩の参勤交代が通った道であり、昔々その昔、日本武尊もひょっとして通ったかもしれないと考えると、と〜っても楽しい道でもあります。
そんな旧中山道碓氷峠、今回はマッキーとクーニャンと3人にてのMTB行、気の早い冬将軍様のお出ましに、小雪吹きすさぶ中でありましたが、紅葉も見頃、また、楽しき一日でありました。 |