’01,9,22〜23 ツール・ド・まほろば@日本海&塩の道、社会派ツアー 


 千国街道「塩の道」。上杉謙信が三千俵の塩を武田信玄に送ったと言うのはあまりにも有名な話だが、だから「塩の道」と言う訳でも無い。古くから晩秋の漬け物用、そして翌春の味噌醸造用などに使われる塩が、牛馬に背おられ延々と列をつくり、運ばれて行ったのがこの街道であった。
 石器時代から縄文時代、信州和田峠の黒曜石が、そして姫川の翡翠が、各々の地方へと運ばれて行ったのもこの街道であり、近年、街道ぞいの信州の人達が「北浜」と呼ぶ糸魚川から、生魚が歩荷に背おられ信州へ送られたのもこの街道だ。そして信州からは、大麻・綿布・たばこなどが北陸地方へ送られて行ったが、その大麻は漁網となり、日本海漁業を支えていたのであった。
 「ウトウ」それは、その牛馬の往来により道が深く沈み、塹壕状になった道の事を言うが、ここのそれもまた、歴史そのままに深くその姿を残している。そんな街道を、牛馬ならぬ近代MTBなる乗り物にて、向かうは「北浜」刺身・蟹・ビール。第二回ツール・ド・まほろば一日目は古き良き街道を、まずは日本海へ美味詣であった。


落車1分前

丸太


日本海へ

旨味処

刺身


コーチ

 「庚申(こうしん)」と書かれた石仏を見かける。元々道教の教えであり、人の体には三尸(さんし)の虫がいて、庚申の夜、寝てる間に抜け出し、天に登り、天帝にその人の罪科を告げ口する。そして、その罪の量により、その人の寿命が軽減される。よって、庚申の夜は恐れ慎み眠らずに過ごさなければならないとされていた。元々貴族の信仰であった庚申だが、時長らくして庶民へと広まり、神仏混交、帝釈天、青面金剛、三猿などへと姿を変え、庚申の夜(六十日に一回)講として地域の娯しみの晩にもなっていたようである。
 そんな庚申塔を数見かける千国界隈が二日目のコース。昨晩、まほろば版「庚申講」にて、恐れ慎み夜を明かした一行であったが、おりしもの快晴に気も軽く、身も軽く、足取り軽く、いざシングルトラックへと向かったのであった。


秋盛り

DBD、雨中コース

いざ!

鶴・ど・まほろば

阿弥陀堂

るり

ツル


百体観音
スパイス
屋台「まほろば」


 「まほろば」は飲んでばかりじゃ無いよ!今回は社会派ツアーを!…ってな訳で、なんとかミュージアムとか、郷土館とか、資料館とか予定に入っていたようだが、とりあえず「鶴の舞」、そして「塩の温泉」「人生のスパイス」…。

 『 淋しさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋のゆふぐれ 』
                              …良邏法師

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