’01,3,11 日光・戦場ヶ原 XC

 うちの子達は親が言うのもなんだが、いたってしっかりしている。いや、親が親だからしっかりせざるを得ない。連日連夜の留守番にも何ひとつ文句言う訳でも無く、気侭に、それぞれの人生を歩んでいる。しかし、さすがに最近親の方が少し後ろめたい。たまには野に出て家族の絆を確かめ合おうか…などと言う気持にもなる。つまり、それが今回出掛ける事のきっかけだった。
 では、なぜXCか?。うちの子達、ゲレンデには行きたがらない。XCなら行ってもいいと言う。きっと他に連れてって欲しいような所(たとえばDが着くような所)もあるのだろうが、幼い頃より経済状況というものを少なからずインプットされてきた為、あえて金額の張る場所へは連れて行って欲しいとは言わない。けな気だ。そのけな気な心を汲んで、今回もXC行きと成った。
 そしてゲストに、いずれ将来子育てするだろう不良隊の高橋夫妻を交え、決して参考にならない子育て&親子関係の全貌は如何に?!。

 ショックだった。思い起せば吾妻、月山、奥利根、いたる遠征地のキャンプにて、名物「キムチ鍋七変化」を演じてきた我家の土鍋が、本日の開演を待たずしていきなり終焉を向かえてしまった。
 で、代役を求め車で走る事30km、日光市内にてやっと軽薄ながら代わりを見つけ、再び帰路30km、なんとか昼食時間には戻れたのでありました。


 3年ぶりの光徳はトイレが綺麗になってた以外ほとんど変わっていなかった。昔やってたように、テーブルを広げ、椅子を出し、鍋を囲む、う〜ん幸せなひとときだ。
 変わらないと言えば、昔、毎週のように通っていた頃の知り合いが、久々に顔を見たと言って訊ねてきてくれた。すごく嬉しかった。藤井さん、子供の名前までみんな覚えていてくれて、ほんとうにありがとう。


左:光徳沼です。90年頃始めたXC、3〜4年の間、シーズン中毎週のように通った光徳、一番変わったのは子供達のサイズのようだった。
右:小田代。鹿の食害保護の為だと思うが、電流柵にて小田代の湿原全てが囲われていた(決してXCスキーヤーを入れない為では無いと思う)。入口より中に入り、しばし白い世界に浸る。


 ちょっとした坂をみつけて滑りを楽しむ。こんな坂でも登り返して遊ぶところは、やはり不良隊の血筋か。そして五体投地もまた親譲り。最近、風貌さえもやけに不良化している我家の子達であった。
 そして、木々の影がこれまたやけに長いのは「北関東不良テレマーク隊」いつもの遊びの様相以外なにものでもなかった。


 左の写真右から、次女今年高2、長男今年中2、まん中の茶色は今年短大に入ります。いつまで一緒に遊んでもらえるだろうか、つねに、これが5人揃っての最後の雪遊びだと言う気持ちで出かけています。
 何年か過ぎ、それぞれが独立し、子を持ち、そして育てる時、ほんの一瞬でもいいから、この時の事、この白い世界の事が、すばらしい記憶として思い出される事を願う。これだけが、自分達、拙い親より子達へやってあげられた、唯一、自慢できそうな事のような気がするから…。


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