小さき花達

カワラナデシコ
ナデシコ科ナデシコ属 河原撫子 Dianthus superbus L
カワラナデシコ
 大和撫子である。

 出雲国に降り立った須佐之男命(スサノオノミコト)は、泣いている老夫婦と美しい娘に出会った。その夫婦は足名椎命(アシナヅチ)と手名椎命(テナヅチ)と言い、娘は櫛名田比売(クシナダヒメ)と言った。

 夫婦には8人の娘がいたが、毎年、八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)と言う8つの頭と8本の尾を持つ怪物がやって来て、娘を食べてしまっていた。今年もその季節になり、このままでは末娘の櫛名田比売(クシナダヒメ)も食べられてしまうと思い、泣いていたのだった。

 須佐之男命(スサノオノミコト)は、娘を妻として貰い受けるのを条件に、怪物退治を請け負った。まず、須佐之男命(スサノオノミコト)は娘を櫛に変えて自分の髪に挿した。そして老夫婦に、8つの酒桶を用意するように言った。準備して待っていると怪物がやって来て、8つの頭でそれぞれの酒桶の酒を飲み干し、酔ってその場で寝てしまった。須佐之男命(スサノオノミコト)は、剣を抜いてそれを切り刻んだ。尾を切り刻んだ時、剣の刃が欠けたので裂いてみると大刀が出てきた。これが天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)のちの草薙剣(クサナギノツルギ)である。

 八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)を退治した須佐之男命(スサノオノミコト)は、娘を元の姿に戻し、共に住む場所を求めて出雲の須賀の地へ行き、宮殿を建てた。そこで「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ(これが日本最初の和歌)。

 これが、古事記の須佐之男命(スサノオノミコト)による八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)退治の概略である。
 その中に登場する櫛名田比売(クシナダヒメ)が倭撫子(ヤマトナデシコ)の語源、足名椎命(アシナヅチ)と手名椎命(テナヅチ)が手足を撫でるように大事に育てた姫、櫛名田比売(クシナダヒメ)こそが倭撫子、つまり大和撫子(ヤマトナデシコ)である。

< 榛名、7月 >

カワラナデシコ
ちなみに「エゾカワラナデシコ」との違いは苞の数とがく片の長さだそうだが、この2枚の写真がどちらなのか…、定かでない。とりあえず宿題である。
< 湯ノ丸、8月 >

カワラナデシコ
< 湯ノ丸、9月 >

ナデシコ
園芸種。
< 高崎、6月 >



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