’99,5,23 富士は日本一の山だった

つ、ついに!富士山だ〜!。
前日より5合目(富士宮口)にてキャンプ、5時間程の登りにて山頂へ。
ほんと、自分で自分を誉めちゃいたい気分にて、3776M!。
もちろん行きました!お釜!ヒュ〜ヒュ〜!朋ちゃん幸せ!。

これより試練の登り。

山頂だ〜!。

お釜を眼下に。

お釜!(火口の事です、スキーヤーはその・・違うと思うけど・・)

お釜を行く語り部、
そして星となる、南無・・・。

お釜よりの登り返しです
(頭が割れる〜)。

スルガワンスーユの霊峰 (語り部)

突如、トミター・ナイトー・ショウエイの頭上に、神の声が響いた。「セニョール・ショウエイ、セニョール・ショウエイ、いまどの辺りですか、ドーゾ。」おお、神は私を守護してくださっているのだ!彼は感激にうち震えた。が、すぐに、朝方、馬止めでのことを思い出した。何のことはない、ルイスゴンサーレス・イタガーキが彼の背嚢に入れてくれた無線機が、がなり立てているだけなのだ。がなり声の主は、ホセアントーニオ・ジュンニーチだ。そう判ってしまうと、ちと五月蝿い。が、背嚢を降ろして、無線機をとりだすのも厄介だ。「セニョール・ショウエイ、セニョール・ショウエイ、いまどの辺りですか、ドーゾ。」まるで、ホルヘ・スガルーパ・マサーキみてぇだ。あいつときた日にゃ、鋤担ぎ上げてる最中にも、雪の上でしゃべりまくるんだ。いったい、鋼鉄の肺をしているにちげぇねぇ。(ああ、チゲが食いてぇ…)

その日、5月23日は、ちょいと早めの「こいゆる・りてぃ」だった。南あめりかはあんです地方の星と雪の祭りである。本場、ぺるー・あんですの中心地くすこでは、6月ころ、かとりっくの「三位一体」の祝祭日にからめて、びるかのた山群と向かい合うしなはら山(5,471m)の山麓で、4〜5日間にわたって開催される。それは、1万人以上もの人々が各地方から参集し、野宿をして、山麓にある礼拝堂のきりすと受難像や丘のまりあ像、氷河に立てた十字架などに祈りを捧げる、盛大な宗教祭である。その間、山麓は踊りと音楽で興奮の堝となる。[この項、山と溪谷社刊「アンデス大地」(高野潤 写真・著)より引用、少々改変]

そんな賑々しい宗教祭を真似してみたくて、一行はスルガワンスーユの霊峰の山麓にやってきたのだ。

「こいゆる・りてぃ」の本場では、人々は毎年参加することで生活に平和と富が得られると信じている。その信仰があればこそ、人々は重い荷をかつぎ、自炊をし、氷河を登り、祈りを捧げるのだ。[この項、山と溪谷社刊「アンデス大地」(高野潤 写真・著)より引用、少々改変]

そりゃ、オラっちがやってることとおんなじだぁ、そう勘違いしたホセアントーニオ・ジュンニーチは、妻のルリーコ、仲間のルイスゴンサーレス・イタガーキ、ルイス・エルナンデス・タカハーシ夫妻とはるばるグンマスーユから、やってきたのだった。途中、タマジマンスーユのソエダー・ナイトー・マサヒーコとトミター・ナイトー・ショウエイのナイトー一族も加わって賑やかになり、こりゃかなりイケテル、と思った。しかし、それは、美しく完璧な勘違いだった。だって本場では、十字架を担いで山を登るのに、彼らが担ぐのは二本の鋤なのだから。ただ、それが崇高な行為だと思い込んでいるところが、結構本場の雰囲気に近いのかもしれない、そうしておこう。

前日の夕刻山麓の馬止めに到着した一行は、そこで野宿した。そりゃ、本場でもそうしているからである。まだ薄明るさの残る夕空に、霊峰のシルエットが大きく浮かぶ。その昔演歌帝国時代にスルガワンスーユと呼ばれた地域に聳えるその姿は、いつもと同じく、厳しい表情を見せていた。本場では、夜通し歩いて登るのだが、一行はそれほど真面目ではない。さっそく酒盛りが始まった。(だ・か・ら、勘違いだっちゅーの!)明日は早立ちだというのに。特にナイトー一族の二人は度を越した飲み方だった。

翌朝も天気は上々だった。しかも好天のぶんだけ冷え込みも予想されていたのだが、それは杞憂に終わった。絶好の「こいゆる・りてぃ」日和だ。しかも、眼前の霊峰は国中でいちばん高い山なのだ。気分が乗らないけがない。山頂にバラの花が咲いたように、雪が朝日を受けて輝いている。あのバラを掌にいれようと、高みめざしてひとは登るのかもしれない。それは大概、苦いバラなのだが。

朝食をそそくさと済ませると、一行は派手な衣装を身に付け、荷物を準備した。背嚢には、本場の十字架の代わりに予定どおり2本の鋤をくくりつけた。そして仕上げは、化粧である。

宗教的な祭りほど、仮面や覆面などが多く用いられる傾向がある。本場、あんですの人々が好んでこれらの面をつけるのは、すぺいん文化の影響のほかに、彼らに、普段の自分から脱したいと思う変身願望があるからだ。派手な面や衣類を身につけて、祭りの期間だけでも、日常の労苦を忘れて豊かな気分に浸ろうとする。[この項、山と溪谷社刊「アンデス大地」(高野潤 写真・著)より引用、少々改変]

一行も、白いべたべたする液体を、顔といい、耳といい、首筋といい、露出している所に塗りたくった。歌舞伎役者のように塗りたくった白い顔に、赤や黄色の派手な衣装の出で立ち。確かに、白い毛糸の覆面をした、あんですの祭りの人々に似ていなくもなかった。

一行は、霊峰に向かって登り始めた。まだ雪は出てこない。皆の背中に、先端で束ねられた、十字架となるべき二本の細長い鋤が揺れていた。

道中も半ばを過ぎると、明らかにトミター・ナイトー・ショウエイが遅れ始めた。薄い空気の中で遠のく意識を必死で呼び戻しながら、彼はまた、一方で崇高な気分を味わっていた。そんなとき響いたのが、無線機を通したホセアントーニオ・ジュンニーチの声だったのだ。「セニョール・ショウエイ、セニョール・ショウエイ、いまどの辺りですか、ドーゾ。」

しばらく無視していたが、無線機の声は、しばしば彼の登高ペースを乱した。しかたがねぇ。そろそろ応えてやるか。彼は休憩を兼ねて雪渓の上に腰を下ろし、水を飲んだから無線機を手にとった。「セニョール・ジュンニーチ、セニョール・ジュンニーチ、こちらは、セニョール・ショウエイ。ただいま9合5勺付近です。そちらはいまどの辺りですか、ドーゾ。」今度は、息も絶え絶えの声が聞こえた。「こ、ちら、は、いま、お・か・まを…、あぁ。」なに!?「オカマがいるんですか、ドーゾ」「ち、ちがう。おかまを…、滑って…、の、登り返してる…、ところです。ドー…ゾ。」

トミター・ナイトー・ショウエイは、9合5勺からの登りには苦しめられた。実は苦しめられたのは彼だけではないのだが、身勝手な性格である彼は、自分だけが苦しんでいると思い込んでいたのだ。頭痛こそおさまったものの、息苦しさは絶頂に達した。そしてそれと同時に、彼は霊峰の絶頂に立った。そこには、広大な穴「おかま」が、セイウチの牙のようなツララをいたるところに蓄えながら、大きく口を開けていた。

絶頂中の絶頂、剣が峰に立って「おかま」を覗き込んでも、底は見えなかった。トミター・ナイトー・ショウエイは2本の鋤を雪面に突き刺した。これで我々も「こいゆる・りてぃ」ができた。ここが「こいゆる・りてぃ」クライマックスであるからには、興奮にうち震えていることを態度で示さなければならないのだが、彼にそんな余力はなかった。その代わり、しばし祈りを捧げると、鋤を引き抜き、それを履こうとした。屈んでいると、それだけで息が切れてくる。気持を落ち着かせようと、水を飲む。するとまた、息が切れる。スルガワンスーユの霊峰の絶頂では、一挙手一投足、すべてに息が切れるのである。

仕度ができた彼が顔を上げると、「おかま」が彼においでおいでをする。彼は淡い意識のまま、「おかま」の底に向けて身を投じた。星と雪の匂いがした。(了)

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