’00,5,4〜5 GW後半戦三部作・第一部 「上州・武尊」

 GWは例年月山キャンプと決まっていた。しかし今年は諸事情(まぁ、家庭内事情と言うものです)がそれを許さず、かと言って遊びたい、そう言う時は武尊で、決まり!。
 例によって夜勤明けの妻(ナース)を迎えがてらの出発、「ごめん、救急車が入ったから少し遅れる〜ぅ」う〜ん、夜勤+超勤かぁ〜、登れるのだろうか標高差820M…な〜んて気使いは我が妻には無用、遊びとならばあらゆる知恵・体力をふりしぼり、後先考える事無く行動する。似たもの夫婦と言うのだろうか、しかし、その行動の影にはまた犠牲者が存在する、そう、子供達だ。「子供らよ、四日程留守にする、元気で過ごせよ、土曜日ちゃんと学校へ行くのだぞ!」。

 想像はしていたが、70Lザックにテント・寝袋・マット・着替え・火器・食料・スキーまで括り付けたら重い。実際20数Kgなのだろうが感覚としては50Kgを超えている。それでも3時間で山頂に着く。晴天なれど風強し、付近の木影に速効にてテント設営。後にオグナ像、剣ガ峰に家ノ串、前に荒山沢、赤城山に 皇海山。早速荒山沢を 目掛けて一本!そう!これがやりたかったんだ、う〜ん、幸せ!。
 夕刻、テントに入るも風一段と強まる。さすがに妻は寝ている。寒い、寝袋に入る。夜中強風で度々目が覚める。モステントが風でひしゃげそうだ。風速、実際20数m/sなのだろうが感覚としては50m/sを超えている。寒い、どのくらい寒いかと言うと、出掛けに充電してきた携帯のバッテリーが夜中の12時を待たずして放電してしまった。よくビバークの話を聞く。朝目覚めて「生きてたよ〜ぅ!」って喜んだ話を。この装備(テント・マット・シュラフ)でも強風・低温でこれだけ不安感がある。もし、これがツエルト・雪洞などを使ったビバークだとしたら…嫌だぁ〜!ビバークなんて絶対したくない!と思った。
 翌日は一転快晴!わぁ!富士山だぁ〜!。よしよし、雪たくさんあるな、21日に行くぞ、穏やかに向かえておくれ。それにしても天気が良い!100名山が幾つ見えるのだろう。朝食前にまず一本!もう登り返しの事などまったく考えずに滑っちゃう!。朝食後は荒砥!もうどこもかしこも最高の粗目です。滑っては登り、滑っては登り、剣ガ峰は登ってから滑り、まさにテレマーク三昧でありました。
 剣ガ峰を滑り終ってテントに戻るとソロのテレマーカーの来客、ツアーの板にベローチェ、思わず「あの〜ノルハイムの関係者ですか?」…って、何処かで同じ言葉を使った覚えがあるなぁ〜?「あっ!巻機!」な〜んだ、巻機の山頂で会った人だ、「どうもどうも、あの折はあまり会話もせずに失礼しました、このたびは我がテントサイトにようこそ」と武尊を完全に私物化している不良夫婦でありました。

出発

武尊14

スタードーム2

テント前フィールド

富士山

来客あり

十二沢(背中が重〜い!)

終了

 剣ガ峰を初めて意識したのは、あるHPの写真だ。そこには剣ガ峰を滑るボーダーの姿が写っていた。だからと言って、それは次元の違うものであり、ましてそこは冬場雪崩の生産ライン、おいそれとは近付けない。でも、いつか、あの頂きに立って、スキーのトップを下に向けてみたいと、どこか心の底で思っていたりもしていた。
 そして今年、春になり、雪が締り、雪崩の危険が薄らいだ頃、いたずら心で近付いて行った。一度目(4月9日)は途中で雪質悪化(腐れ雪)のため山頂登頂断念。二度目(4月18日)は雪質変化(クラスト)のため途中滑落。三度目、出だしのクラックに若干バランスを崩すが、無事谷廻りターンへ、そして連続ターンへと、合計8ターン、感激。

山頂にてバンザイ

1ターン目

2ターン目

4ターン後

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